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展覧会・『視力0,01』ができるまで


by hello-daito

光島さんとの往復書簡1

だいぶ制作が各自進んできましたが、
この間出品作家のお一人でもある光島さんと
ワタクシ、中村協子の間で大変興味深いやり取りが行われました。

やり取りの内容としては
私達が目の見えない人にわかってもらおうと苦戦しているのに対して、
「触ってすぐに、それが何かがわかるものを作る必要はないのでは?」
とのご意見をおっしゃってくださいました。

作家としての自由に表現したいというエゴ、
しかし、発表する場によっては、それを規制しなくてはならないこと
(特にパブリック・アートにおいて)





それらの矛盾が今回このやり取りの中でよくでており、
作品を作り上げていく・生の声としてとても面白いお話となりました。
往復書簡2ではこのメールに対しての私のお返事も掲載いたします。
両方あわせてお読みくださるようお願い致します。

なお、光島さんがこのブログに掲載できるよう原稿を推敲してくださいました。
お忙しい中、本当にありがとうございました。
メンバーからするとちょっと厳しめのご意見も含まれておりますが、
愛情込めて書いてくださっていますので・・・

というかこういうのを公開せずしてどうすんねん!
と思います、私。


以下、光島さんの文章となります。



■視力0.01展に寄せて
今回の展覧会の出品作家として、お招きいただいている光島貴之です。
触ることにあるいは、視覚を使わない表現にこだわりながら、ラインテープと
カッティングシートを使って描いてきました。

先日来、以下にして作品を見えない人にわかってもらえるようにしようかという
提案がなされていますね。そのような試みは、これまでもいろいろおこなわれて
きました。しかし、それらはけっして十分なものではありませんでしたし、
うまくいっているわけでもありません。

もちろん見えない人に対する配慮は必要です。
しかしぼくとしては、あまりにわかりやすくすることで、作品の持つ
おもしろさや、驚きを打ち消してしまっては何もならないと思っています。
以前、モナリザを半立体にした教材のようなものをさわったことがあります。
構図は確かにわかりますが、作品の持つおもしろさは、ぼくには伝わって
きませんでした。

地下鉄などには、点字の案内板が設置されていますよね。
そういうものは、見えない人の日常生活をサポートするものですから、とにかく
触ってわかりやすいものでないと困ります。しかし作品、特に現代アートとし
て提示しようとする作品は、わかりやすさを求めてはダメだと思うのです。
何か謎な部分や、理解しがたいようなところも含めておもしろさがあるのでは
ないでしょうか。

視覚障害者は、触ることで、あるいは聞くことでものを認識しているわけですが、
普段、触るという行為は、事物を差別化したり、危険を察知するために動員
されています。服を手触りで分類したり、音を聞き分けて街を歩いたりしている
わけです。さわったり聞いたりする能力は、自ずと鍛えられているかも
しれませんが、それはアートのおもしろさを認識する方向には働いていません。

ものを特定する方向には総動員されますが、形のおもしろさを認識したり、
こんな風にも、あんな風にも感じられるという風には鍛えられていないと思うの
です。

そういう意味で、視覚障害者と言えども美術作品を触って鑑賞する
スペシャリストではありません。だって、点字は文字として理解されなければ
ならないし、卵の形を触ったときには、それをミカンではなく卵として認識する
ことが必要です。

そのようなことを前提としての話しですが、作品を触ったときにそれが何で
あるかが、すぐにわかったとしても、それと同時に作品のおもしろさも感じられる
かどうかは、また別の問題だと思います。
作品をさわりながら、「いったいこれはなんだろう?」と途方に暮れてしまう
ぐらいの方が、作品の印象が心に強く残るのではないでしょうか。
あるいは、近くに居合わせた見える人に聞いてみて、語り合ってみて初めて
「あっ!!そういうことだったのか」とおもしろさを発見することもあります。

点字や音声で解説がしてあると確かにわかりやすいですが、それではたんなる
教材に成り下がってしまうのです。作品の持つ力が半減してしまいます。

ここにコーヒーカップの絵があるとします。
触ってもわかるようにラインを盛り上げます。
それを見えない人が触ると、まずこれはなんだろうと考えます。正しい答えを
求めます。しかし、美術作品として鑑賞するには、その形の持つおもしろさを
発見したり、またぜんぜん別なものとして感じたりすることが必要だと思うの
です。「これ、なあに?」という答えを求める方向に向かうと想像力は半減して
しまいます。ぼくもこのあたりのことで、作品を鑑賞するときにずいぶん悩んだ
覚えがあります。

ちょっと別の観点から考えましょう。
見える人が知的障害の人の作品を見たときにすべてを理解することはできない
だろうと思います。でもどこかすごい。何か突き動かされるところがあるという
感動の仕方をするのではないでしょうか。理解不可能なものをわかろうとする
ところに、鑑賞の本質があると思います。親切にそれらを解説してしまうことは、
作品の持つおもしろさをなくしてしまうのではないかと心配しています。

長々と書きましたが、アートに対するぼくの思いは、
伝わったでしょうか。
街を歩いていて、点字ブロックや、音響式信号機や、地下鉄の入り口を示す
チャイムは確かに便利です。しかし、どこの横断歩道も同じような点字
ブロックが敷設され、どこの信号機も同じような音がしているのにぼくは、
気持ち悪さを感じてしまうのです。見える人が、どこの駅前も同じような景色だ
と言ったり、地下鉄の駅はどこも同じようだというのと近い感覚かと思います。

ということで、ぼくとしては、出品作家の方々に視覚障害者のこれまで育んでき
た感性を突き崩してしまうような作品を期待しているわけなんです。
盲学校用の教材は作ってほしくないんです。このあたりわかってもらえるといい
のですが……。
心優しい女性揃いなので、こんな意見は過激すぎたかもしれません。

とりあえずぼくの意見をぶつけてみます。
クオリティーの高いアート展を目差してほしいと願っています。

以上です。
by hello-daito | 2010-03-07 15:27 | 主旨 説明