展覧会・『視力0,01』ができるまで


by hello-daito

企画説明

これを書いてすぐ思いつきましたので展覧会タイトルを「視力0,01」へ変更します。
私自身の視力をタイトルにそのまま使うことにしました。
コレナーニ?があまりにパブリックくさかったことと、健常者と非健常者との境目を
暗示するフレーズとして考えました。



今回は企画者としてなぜ、私がこのような企画に興味をもったかを
述べてみたいと思います。

もう参加メンバーの方にはお話したのですが、私自身が角膜に少し異常をもっていて
病気というわけではないのですが、一生ハードコンタクトを使用していかなければならない
目です。

17歳の時に発症したのですが、「一生直らないということ、めがねでは矯正できないこと
悪くはなるけど、よくはならないこと」
などが告げられ、とぼとぼと家へ泣きながら帰ったのを覚えています。

症状としては強度の乱視です。
裸眼ではひどくゆがんだ世界に生きており、裸眼で過ごしていると非常に目が疲れやすくなります。
(特にパソコンは辛いです。)
もし、コンタクトレンズが開発されていなければ、
この病気の方(割りとたくさんいはるそうです)は
きっとみなさん、健常者とはいいがたい状況だったのではないかと思います。
今は特殊な削り方をした特注のコンタクトを使用してなんとか日常生活を送っております。


「健常者」という人が作った大きな枠が実は隙だらけの曖昧なものであるということは
以前から通っていた障害者施設でのボランティア活動でも感じ取っていました。
障害の程度が個人差がありすぎて一言で「障害者」とはくくれないのですね。
それは目に障害がある方にも感じます。
見え方にかなり差があり、障害の個人差も大きい。



自分自身が「健常者」という枠組みから少し外れてしまったこと、
またその枠組み自体が社会が作った刷り込みではないか?と思ったことが、
今回の企画の大きなきっかけとなっています。



まためがねやコンタクト無しでは今多くの人が「健常者」とは呼べないくらい、
目の矯正は一般的になっています。
1,5の視力がでるようにほとんどの人が矯正され、作られた視力で毎日生活しているというのは
今の社会生活で大きい前提となっていますが、
本当はとても奇妙なことなように思うのです。


だからほんの少し配慮で、目の見える人が作りあげた「健常者」の枠組みを広げれるのではないか?
とこの企画を考えました。


私自身も一生この目を付き合っていくので、何年かおきにすこしづつ制作し、
この企画を成長されていけたらと思っています。
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by hello-daito | 2009-09-29 09:23 | 主旨 説明