展覧会・『視力0,01』ができるまで


by hello-daito

アトリエ訪問から(執筆 中村)

光島さんのアトリエ訪問には本当に色々と考えさせれらることが
たくさんありました。

メモを片手に少しづつ書いていきたいと思います。


本当はこの企画の意図をもう一度説明することから
始めたいのですが、ちょっときになる話があったので、これを先に。
長いお話になるので
盲学校での美術教育に関心のある方、読んでくださればと思います。
尚、今回のレポートは企画者である中村の極私的な意見となっております。
ご了承ください。


それは前回で話題になった、
「わかる・わからない」の話と関係のあるお話です。


今度のこの0,01の活動としては大阪の視覚支援学校へ
私達の作品をもっていくこと、なのですが、
そのお話を最後にちょこっと光島さんと2人でしていたとき、
気になるお話をしてくださいました。

光島さんは
「いきなり、これ(私達の作品)をもっていっても子供はよくわからんかもしれないですね。
学校による、美術の先生によると思いますよ。
だから、何か導入を(音のでる楽しい道具など)を考えてもっていったほうがいいと思いますよ」

と提案してくださったのです。

この何気ない提案、中村はとてもひっかかりました。







これは雑賀さんとお話していたときにも出たお話なのですが、
視覚支援学校でのいわゆる芸術教育は大きく分けて
「音楽」と「美術」に分かれ(学校によって事情はもちろん違う。あくまで参考としてのお話)
それは選択であることが多い、と。
そして中には美術はまったくなく、音楽のみのこともあると。


そして選択の場合、目の見えない子供がみずから進んで美術の方を選択することは少なく、
音楽がやはり人気だということです。
(これは前回の支援学校でのお話でありました。)

なので、普通の全日制では美術と音楽が別れるのは高校からですが、
盲学校での芸術教育制度自体が美術教育を重視しておらず、
目の見えない人の中にはほとんど美術教育(鑑賞・造形ともに)を
受けずに育つ可能性があることを示唆しているのではないでしょうか。

(この件に関して雑賀さんや山川さん、光島さんに盲学校での美術教育について
色々とお聞きしてみました。
こんなことをしていたのでアップが遅れておりました。)


また、このことから派生して中村が考えたこととして、

「私達は勝手に、目の不自由な方は【触る能力に飛びぬけて感覚が鋭い】
=目の不自由な方なら誰でも触るアートを楽しめる、と思っていたのでは?」

ということです。

これは視覚から考えるとわかりやすいと思います。
日常をおくるときの情報と、
アート作品を鑑賞するときの視覚を中心とした情報って全然違います。

傲慢になることを恐れずに言えば、アート作品を鑑賞できる視覚を中心とした
訓練には非常に時間がかかり、本当は誰でもわかるもの、万人に
開かれたものではないと思います。
(中村は10年単位の時間がかかると思ってます)
これは、芸術がわかるわからないという話とはまた別の話です。

単に鑑賞を楽しむことにわりと長い時間の訓練が必要だということです。



それと同じように、触る美術作品を鑑賞するという行為にも
訓練がいるのではないか、と思いました。



日常を危険なくすごすため、もちろん、
目の不自由な方は触感は特殊な発達をなさっているでしょう。
しかしそのことと別にアート作品を触感で鑑賞するというのは
また別のスイッチが必要なのではないでしょうか。

そして、そのスイッチが各個人の中でできあがってくるのには、
視覚でアート作品を鑑賞する時と同様にとても時間がかかるのではないでしょうか。

教育の段階で美術教育が重視されていないとしたら・・・・尚更です。

一応カリキュラムにばっちり組み込まれている美術教育を受けて育っても、
「美術わかんなーい」という人達が量産されているのですから。

私達の作品を支援学校へもっていったとして、
子供達はまったくそういった素地ができていない可能性があります。


ふと、支援学校での教育、また光島さんの「音をきっかけにした方がいいかも」
というアドバイスで考えこんでしまいました。


そして実際、支援学校でどのようなワークショップをやるか、ですが。
これは光島さんがこれから相談にのってくださるそうです。
なんて心強い!

未熟モノで申し訳ないですが、よろしくお願い致します。

(今回の記事は中村の極々私的な意見です。
一応企画者なので、感じたことを書きました。
不快な思いをされた方いらっしゃれば申し訳ありません。)
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by hello-daito | 2010-04-28 23:21 | その他