展覧会・『視力0,01』ができるまで


by hello-daito

山川さん3

山川さんよりのメール第三弾です。

以下、山川さんのメールとなります。

さて、先日来のメールなど掲載くださりありがとうございます。
ほかの方の投稿やコメントと合わせて、先ほど読ませていただきました。

船橋さんの文書を読みつつ、
本当にそうだよなあって思ったしだいです。
幼いころから全く見えないぼくなんかが
一人で外出すれば危険や不便が多々あ
りますし、生活や仕事その他生きている上でのいろんな場面で不便さや歯がゆさ
を痛感することも決して少なくはないように思います。

ときには、怒りや悔しさを感じるような出来事や経験に遭遇して、
自らの被差別者としての社会的立場・位置を思い知らされることもままあります。

そんな意味からすると、見えたら便利だし生きるのが
楽でいいだろうなあと思うことがないわけではありません。

けれども、ビューなどで鑑賞ツアーやワークショップをしていると、
見えている人の視点や共通概念にあまり捉われてはいないから、
こんなことを言ったり行ったりしてしまうんだろうなあと、
後から自らの言動を捉えなおすこともしばしばあるような気がします。

そのときにはぼくは何も意識してはいないようですが、
そんな見える人の視点や概念にあまり捉われないぼくの発言や行動は、
ときとして見える方にとっては、思いも寄らないものだったり、
とっぴょうしもないものだったりするようです。
そんなある種の異文化とも言うべき人・もの・ことの交流は、
理屈抜きに面白いですし、少しはぼくらの社会や文化を豊かにする
一助になるのかもしれないなあと思ったりします。
そんな意味では、見えないこともまんざらではないよねともちょっと思ったりするのです。


とは言え、そんなことを言っているぼく自身とて、見える人・障害を持たない
とされる人たち(マジョリティー)を中心とする社会の中で生きているわけですから、
見える人たちの文化や価値観から自由ではないんだよなあ、
と思ったりすることもあるのです。

たとえば、○○さん(知り合いの女性)ってとってもきれいだよとか、
○○さんめっちゃかわいいやんなどと言われたりすると、
なんだか嬉しかったり、今あなたが話してたあの人とても美人だよとか言われたりすると、
思わず、へえ!どんな人?などと反応したりもしますしね。


そんなぼくのやや鈍化した感性を活性化して、大きな刺激を与えてくれたのが、
アテンドスタッフとして参加させていただいた、2008年12月仙台メディアテイク
で行われた、高嶺格さんの、大きな休息と題されたとても個性的な展覧会会場で
の、貴重な十日間近くの体験だったのです。

まさに見えない自らの自明性を問い直したり、ありのまま性を再認識させられたりする
エキサイティングな日々となったのです。そのときのことを下記の展覧会ブログ

自明を問い直す
 http://prj.smt.jp/~bigrest/blog/?p=176
ありのまま性
 http://prj.smt.jp/~bigrest/blog/?p=188 
 
に書いていますので、ぜひご覧ください。

あの仙台での日々を思い返しつつ改めて考えてみると、
船橋さんも書いていらしたように、今回の展覧会は、
やはり目が見えている、あるいはかつて見えてい
たときの、共通概念や発想や視点で企画・検討されているように思われます。

そんなわけで、その共通概念や、見える人や見えない人の自明性を揺さぶるよ
うな、そんな展覧会・作品にめぐり合えることを期待しつつ、今後の動きを見つ
めて生きたいと思っています。
それではまた。

 
山川秀樹
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by hello-daito | 2010-03-29 13:14 | 主旨 説明