展覧会・『視力0,01』ができるまで


by hello-daito

山川さん2

山川さんのメール第二弾です。
ちょっと抽象的な内容になっておりますが、
「障害とは?」という大きな内容に踏み込んだ興味深いお話です。

一部、雑賀さんのお話に対する(ちょっときつめの)コメントもありますが、
ここはそれぞれご意見があられるということを
前提にお読みくださいませ。
企画者としてはどちらのご意見も貴重なご意見で、
むしろ雑賀さんが提案してくださらなければこのような意見も
でてこなかったと思っております。

では以下山川さんのメールとなります。



お早うございます。山川です。
ざっと思いつくままに書いただけの、まだ練れていなかったり、加筆・修正が
必要だったりする文書を、ちゃんと読んでくださりありがとうございます。
まだ荒い言い方で少々過激に過ぎたかもしれませんが、率直なぼく
自身の思いを書かせていただきました。

それと、雑賀さんの、「中途失明の人は形が分かっていて」とか
「いわゆる「先天盲」の人は形を知らない」ので、「形を知る必要がある」と いった言い方
や、問題・論の立て方に関しても、とても気になるのです。

確かに、ご指摘のような側面が全くないとは言い切れないかもしれませんし、
一人一人のみなさんが経験や学習を積んで、人間として成長したり
世 界を広げたりしていくことを否定するつもりもさらさらありません。

ただ、発想や考え方の根底に、いわゆる「健常者」・「見える人」
が知っている・理解している形を知るのが、
いいことなんだとか必要なことなんだ
(見えている人が、本当に形を理解しているのかについては、実は大いに疑問
なのですが)という思いや思想が意識しているか否かに関わらず
横たわっていると すれば、それはやはり問題だろうと言わざるを得ません。

すなわち、その思想は、「いわゆる「健常者」の行動様式やものの
捉えかた等々に近づいていくことが望ましいのだ。」とか、「「障害」は克服・
軽減されるべきものなのだという発想や思想、実践へと帰結していかざるを得な
いと考えられるのです。

少しややこしい言い方をしましたが、いずれにしても、こうした問 題や議論の
根底、背景に、「障害」をどう捉えるのかという命題が大きく存在し ているのは
間違いのないところでしょう。
この議論は以前から福祉や教育や社会運動の場でも
続けられてきま したし、人間観に関わる深いテーマなので、別の機会に譲ることにします。

また、やや抽象的で長くなりましたが、改めてぼくの経験なども交えつつお話
できたらと思っています。



(改行はいつものように中村です。何かあればご連絡を)
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by hello-daito | 2010-03-23 19:34 | 主旨 説明